公益財団法人・偕行社が刊行している『偕行』2022年2月号に、『日本社会は自衛隊をどうみているか―― 「自衛隊に関する意識調査」報告書』の書評が掲載されました。評者は徳田八郎衛氏(陸自61期)。
当研究会のこれまでの研究の経緯をよく踏まえたうえで書かれ、また陸自OBとしての視点も反映されており、興味深い書評になっています。
2月 25 2022
公益財団法人・偕行社が刊行している『偕行』2022年2月号に、『日本社会は自衛隊をどうみているか―― 「自衛隊に関する意識調査」報告書』の書評が掲載されました。評者は徳田八郎衛氏(陸自61期)。
当研究会のこれまでの研究の経緯をよく踏まえたうえで書かれ、また陸自OBとしての視点も反映されており、興味深い書評になっています。
11月 24 2021
『日本社会は自衛隊をどうみているか――「自衛隊に関する意識調査」報告書』(青弓社)の書評が、下記の各媒体に掲載されました。
また、本書の内容を詳しく紹介するとともに、研究会代表・吉田に取材した新聞記事が、下記に掲載されています。
8月 05 2021
2021年1月~2月に実施した「自衛隊に関する意識調査」の報告書が、8月17日、青弓社より『日本社会は自衛隊をどうみているか――「自衛隊に関する意識調査」報告書』として刊行されます。
上記リンク先の「試し読み」で、「はじめに」をお読みいただくことができます。
今後の軍事・安全保障問題に関する討議のための基礎データとして、ぜひ多くのかたにご参照いただければ幸いです。
4月 02 2021
科研・基盤研究(A)「現代日本における戦争観・平和観の実証的研究」第3年度(2020年度)は、下記のように研究を進めました。
最終年度となる2021年度は、上記「自衛隊に関する意識調査」の結果を多角的に分析するとともに、概要を報告書としてまとめ公開する予定です。
11月 02 2020
『読書人』10月23日号に、『ミリタリー・カルチャー研究――データで読む現代日本の戦争観』の書評が掲載されました。評者は日高勝之・立命館大学教授。「批判的関心層」と「趣味的関心層」との比較という本書の考察の「縦軸」に注目され、「広範囲かつ細分化された項目の大規模調査を行い、示唆に富む調査結果と考察に満ち溢れた貴重な書物である」と評していただいています。
10月 28 2020
『ミリタリー・カルチャー研究――データで読む現代日本の戦争観』の3-6「軍歌を歌えるか」(吉田純)では、2020年度前期のNHK朝ドラ『エール』 について、「日本に暮らす人びとにとっての「戦争」の意味を繰り返し描いてきた「朝ドラ」が、この作品で古関[裕而]の音楽を通して、どのような新たな「戦争」像を呈示するのかが注目される」と書きました(同書221頁)。
ドラマはいまちょうど戦時編が終わり、戦後編がスタートしたところですので、このタイミングで、上記へのフォローの意味でコメントをおこなっておきたいと思います。
第15週から第18週まで4週続いた戦時編、とくにその最終週「戦場の歌」では、その「音楽を通した新たな「戦争」像」が、おそらくこれまでの朝ドラにはなかった角度から鮮明に呈示されたのではないか、と感じました。
それはやはり、「音楽」というフィルターを通すことで、初めて可能になったのではないかと思います。その理由を考えるうえでひとつの手掛かりになるのが、(主人公・古山裕一のモデル古関裕而の多くの曲で印象的な) 明朗な長調と哀調を帯びた短調との鋭いコントラストです。
第18週では、前線近くで補給路を警備する部隊の隊長となっていた恩師・藤堂先生(森山直太朗)が、裕一の作曲した『ビルマ派遣軍の歌』を、とても明るく伸びやかに歌う場面が印象的でした。が、その直後の突然の敵襲で藤堂先生は敵弾に斃れ、裕一は戦場の現実を初めて肌で知り、恩師の死に慟哭します。明るい長調の歌とのコントラストの激しさゆえに、戦場のリアリティが際立つのです。(この場面の主演・窪田正孝の演技は、森山直太朗がインタビューで語っている通り「鬼気迫る」ものでした。)
一方、それまでに裕一が作曲し、戦時下に大ヒットした『露営の歌』『暁に祈る』『若鷲の歌』などでは、「哀調を帯びながらもまた勇ましく」(『露営の歌』についての新聞記事)と評された通り、人々の感情を揺さぶる短調の旋律がきわめて印象的でした。
『露営の歌』の譜面を見たコロンブス・レコードのディレクター(古田新太)が「なんだ、短調なの」と意外そうに言うのは、当時、「軍歌」に対して一般的に期待されていた戦意高揚のための「勇ましい」曲調との齟齬を示唆しています。
さらに、長調・短調の2曲が作曲された『若鷲の歌』では、予科練の練習生たちが短調の曲を圧倒的に支持する場面 (これは史実に基づく) も非常に示唆的です。この歌は、むしろ哀調を帯びた短調で書かれているからこそ、辻田真佐憲さんが指摘する通り「人々の感情をこのうえなく効果的に動員」することに成功したのでしょう。
そのように、自らの音楽によって大衆の「感情を動員」し戦争協力をおこなったことを、裕一は激しく自責し苦悩します。この描写によって、「戦う人を音楽で応援したい」という彼の思いや、それを圧倒的に支持した大衆の思いが純粋であればあるほど、それらが「戦争」という最も巨大な文脈へと回収されていくという矛盾に満ちた悲劇が、効果的に表現されていたようにも思います。
戦後編最初の第19週で、『長崎の鐘』の原作者・永田医師(吉岡秀隆)が裕一に言う、「贖罪ですか」「『長崎の鐘』をあなたご自身のために作ってほしくはなか」という言葉は、そのような矛盾の解き難さを指摘しているとも解釈できるでしょう。また、その『長崎の鐘』の曲が短調で始まり、後半の「なぐさめ はげまし……」で長調に転ずるのは、彼自身の、そうした解き難い苦悩からの救済への祈りであるようにも聴こえます。
以上のようにこのドラマは「音楽を通して戦争を描く」という新たなアプローチに、多くの点で成功しているように思いますが、これも辻田真佐憲さんが上記記事で鋭く指摘している通り、「軍歌」という言葉の使用を徹底して避けている点は、やはり画竜点睛を欠くと言うべきでしょう。「戦時歌謡」という(実際には戦後の造語である) 言葉を、あたかも「軍歌」とは別のジャンルであるかのように用いることは、上述のような「大衆の感情の動員」のメカニズムの全体像を曖昧にしてしまう、という危険性をはらむからです。
また、上述のように、裕一が自らの戦争協力の責任に苦悩し、長く曲が書けなくなってしまうという描写が、必ずしも史実には沿っていない点についての批判もありうるでしょう。この点は、そもそも実在の人物を含む史実と、それをモデルにした作品との関係がどうあるべきか、というかなり根本的な問題でもありますが、基本的にはエンターテインメントである朝ドラに、厳密に史実に迫り、主人公のネガティブな側面をも描くことまでを期待するのは、いわば「筋違い」であるとも言えるでしょう。
それよりも、あえてモデルを美化したともとれるフィクションを挿入することで、上述のような「感情の動員」がはらむ根底的な矛盾を表現し得た点を、むしろ積極的に評価すべきではないでしょうか。
なお、古関裕而をめぐる史実については辻田真佐憲さんの近著『古関裕而の昭和史――国民を背負った作曲家』 (文春新書、2020年)が、史実と朝ドラ『エール』との異同については同じく辻田さんがYahoo!ニュースに連載している記事が、それぞれたいへん参考になります。
(吉田純)
10月 09 2020
当ミリタリー・カルチャー研究会ウェブサイト内にて、「平和・安全保障問題に関する世論調査データベース」を公開しました。このデータベースは、戦後から現在まで日本国内において行われた、平和・安全保障問題に関する世論調査のデータ400件強を収録しています(2020年10月現在)。
詳しくは、「このデータベースについて」をご参照ください。
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